日本の教育について考える④

おはようございます

2017年1月30日月曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー㉓】です。

~~~~~~~~~~~~~~~

ー日本の教育について考えるー④
(世界の巨人を唸らせた日本人)

前回は

次のような

ことについて

ご説明させて

頂きました。

「戦前の

日本人が

感性の鋭い

世界的な教養人

世界的な知性人

(詩人の

ホイットマンや

あの相対性原理の

物理学者

アインシュタイン)から

畏敬の念をもって

見られていた

ということなどについて

ご紹介させて

頂きました。

では

何故

戦前の日本人は

それほどまでに

人間としての

評価が

高かったのでしょうか!

さて皆さま

ご存知でしょうか

今日本の社会に

勉強もせず

仕事もせず

仕事に就く

準備さえもしない

【ニート】と呼ばれる

青少年が

85万人も

いるということを!

それだけではなく

他人との

接触を避け

家族とも

交わろうともせず

【自分の世界】だけで

呼吸をしている

【引きこもり】と呼ばれる

人々が

163万人も

いるということを!

このニートや

引きこもりが

犯す

殺人や

傷害事件が

頻発しております。

一昨年も

記憶に新しくは

22歳の

【引きこもり】

近所に住む

小学校5年生の

男の子を

刃物で

十か所以上刺して

殺してしまった

悲惨な事件が

ありました。

テレビや

ニュースを

見ていると

精神科医や

心理学者を

招いて

分析してみたり

解説してみたり

カウンセリングの様な

ことを行ったり

しております。

これらの問題の

解決法として

日本の教養人?

日本の識者?

の考え方の

方向性が

変わらない以上

今後は

日本の

50倍

いや

60倍居ると

言われている

アメリカの

精神カウンセラー

の数に

日本は

追随して

行くのでしょうか!

私は

いくらお金をかけ

カウンセラーの数を

増やしたとしても

ニート等の

社会問題は

解決は

しないと思うのです。

では

ニート等の

社会問題の

原因は

何処にあるので

しょうか!

答えは

明瞭です。

これらの問題が

出てきたのは

すべて

戦後です。

昭和二十年を

境に

日本の社会の

根源的なものが

変化し

この今の

惨憺たる

社会の現状を

もたらしたのです。

その

根源的に

変化したものは

何かというと

それは

真の【道徳教育】の

変化です。

今これが

決定的に

欠落しているのです。

制度として。

決定的に!!」

今日は

ここからです。

昭和二十年

日本に

進駐してきた

マッカーサーは

かつての日本の

教育勅語等による

人間教育

日本人教育

道徳教育

などを

徹底的に

排除してきました。

そしてその代わりに

「子供の人格を

尊重し

自由に

伸び伸びと

育てる」

という

美辞麗句で

国民を

喜ばせ

そして

その論理で

国民を

納得させて

日本人としての

誇りを

失わせるような

教育を

施して

来たのです。

結果は

どうでしょう!

先々の

日本の存在を

危うくするような

ニート等の存在と

真の教養人

真の知性

からしたら

眼を

覆いたくなるような

無気力で

礼節を知らず

毅然とした

日本人としての

プライドさえ

全く感じさせない

多くの若者たちの

存在

そして

全く理解不可能な

残虐な

事件の

数々。

彼らには

ほとんど責任は

ありません。

受ける教育

を選ぶ

力は

弱小の

彼らには

無かったからです。

日本の

著名なる

教養人たちが

引いたレールに

彼らは

乗らざるを

得なかったのですから。

そして、

その日本の

選ばれた?

日本の

知性を

代表する

ような?

人たちが

国際化に

対応するには

どうしたらよいか

知恵を絞った

結果が

【小学校に

英語教育を】

という

驚くべき

結論を

出したのです。

では何故

この結論が

驚きに値するのかは

次回に述べさせて

いただきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月11日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

日本の教育について考える③

おはようございます

2017年1月29日日曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー㉒】です。

~~~~~~~~~~~~~~~

ー日本の教育について考えるー③
(世界の巨人を唸らせた日本人)

前回は

次のような

ことについて

ご説明させて

頂きました。

「一昨年

NHKの大河ドラマで

放映されてた

【花燃ゆ】の

吉田寅次郎こと

吉田松陰は

【学】ということについて

次のように

言っています。

「それ学は

人の

人たる

所以を

学ぶ」と。

【人の人たる所以】は

【徳性】と

【知識技術】に

集約されます。

徳性を

修めるのが

【人間学】であり

知識技術を

身に着けるのが

【時務(じむ)の学】です。

ものには

【本末(ほんまつ)】が

あります。

樹木は

根が

【本】です。

そして

幹や枝が

【末】です。

人間の

本は

【徳性】であり

末が

【知識技術】です。

敗戦後

70年

日本人は

【本学】を忘れ

【末学】一辺倒で

走って来たのではないか?

今の世相を

見るとき

私は

そのように

思わざるを

得ないのです。

小学校への

英語導入も

私は

その一環としか

思えないのです。」

今日は

ここからです。

ここまでは

戦前の

日本人が

感性の鋭い

世界的な教養人

世界的な知性人

(詩人の

ホイットマンや

あの

アインシュタイン)から

畏敬の念をもって

見られていた

ということなどについて

ご紹介させて

頂きました。

では

何故

戦前の日本人は

それほどまでに

人間としての

評価が

高かったのでしょうか!

さて皆さま

ご存知でしょうか

今日本の社会に

勉強もせず

仕事もせず

仕事に就く

準備さえもしない

【ニート】と呼ばれる

青少年が

85万人も

いるということを!

それだけではなく

他人との

接触を避け

家族とも

交わろうともせず

【自分の世界】だけで

呼吸をしている

【引きこもり】と呼ばれる

人々が

163万人も

いるということを!

このニートや

引きこもりが

犯す

殺人や

傷害事件が

頻発しております。

一昨年も

記憶に新しくは

22歳の

【引きこもり】

近所に住む

小学校5年生の

男の子を

刃物で

十か所以上刺して

殺してしまった

悲惨な事件が

ありました。

テレビや

ニュースを

見ていると

精神科医や

心理学者を

招いて

分析してみたり

解説してみたり

カウンセリングの様な

ことを行ったり

しております。

これらの問題の

解決法として

日本の教養人?

の考え方の

方向性が

変わらない以上

今後は

日本の

50倍

いや

60倍居ると

言われている

アメリカの

精神カウンセラー

の数に

日本は

追随して

行くのではないで

しょうか!

私は

いくらお金をかけ

カウンセラーの数を

増やしたとしても

ニート等の

社会問題は

解決は

しないと思うのです。

では

ニート等の

社会問題の

原因は

何処にあるので

しょうか!

答えは

明瞭です。

これらの問題が

出てきたのは

すべて

戦後です。

昭和二十年を

境に

日本の社会の

根源的なものが

変化し

この今の

惨憺たる

社会の現状を

もたらしたのです。

その

根源的に

変化したものは

何かというと

それは

真の【道徳教育】です。

今これが

決定的に

欠落しているのです。

制度として!

決定的に!!

ニート等の

社会問題の

大半は

ここから来ているのです!

ここから!

次回に

続きます。

~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月8日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

日本の教育について考える②

おはようございます

2017年1月28日土曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー㉑】

~~~~~~~~~~~~~~~~

ー日本の教育について考えるー②
(世界の巨人を唸らせた日本人)

昨日の続きです。

一昨年

NHKの大河ドラマで

放映されていた

【花燃ゆ】の

吉田寅次郎こと

吉田松陰は

【学】ということについて

次のように

言っています。

「それ【学】は

人の

人たる

所以を

学ぶ」と。

人の

人たる所以は

【徳性】と

【知識技術】に

集約されます。

徳性を

修めるのが

【人間学】であり

知識技術を

身に着けるのが

【時務(じむ)の学】です。

ものには

【本末(ほんまつ)】が

あります。

樹木は

根が

【本】です。

そして

幹や枝が

【末】です。

人間の

本は

【徳性】であり

末が

【知識技術】です。

敗戦後

70年

日本人は

【本学】を忘れ

【末学】一辺倒で

走って来たのではないか?

今の世相を

見るとき

私は

そのように

思わざるを

得ないのです。

小学校への

英語導入も

私は

その一環としか

思えないのです。

詳しくは

次回で

述べさせて

頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月7日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

日本の教育について考える①

おはようございます

2017年1月27日金曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー㉑】です。

~~~~~~~~~~~~~~~

ー日本の教育について考えるー
(かつて世界の巨人を唸らせた日本人)

ご存知のように

万延元年(1860年)

徳川幕府は

日米修好通商条約

批准の為

約80名の

武士達を

使節団として

アメリカに

派遣しました。

一行は

ワシントンで

大統領に

謁見した後

ブロードウエイを

行進しました。

見物に集まった群衆の中に

あの世界的に有名な

詩人の

ホイットマンが

いました。

彼は

こみ上げる

興奮を

抑えかね

一篇の詩を

書き綴りました。

ー西の海を

越えて

遥日本から

渡米した

頬が日焼けし

刀二本を挟んだ

礼儀正しい

使節達

無蓋の馬車に

身をゆだね

無帽のまま

動ずることなし

今日

マンハッタンの

街頭を行くー

その

立ち居振る舞いだけで

大詩人の

魂を

感動に

揺さぶらずには

おかない

毅然とした

威厳

そして

気品が

当時の

日本人には

ありました。

大正十二年(1923年)

招かれて来日した

あの偉大な科学者の

アインシュタインは

43日間滞在して

各地を回りました。

そして

この史上稀にみる

偉大な科学者は

日本の文化

文明に

深く感動し

次の様な

言葉を

残しました。

「近代日本の

発展ほど

世界を

驚かせたものは

ない

一系の

天皇を

戴いている

ことが

今日の日本を

あらしめている

のである。

私は

このように

貴い国が

世界に

一か所ぐらいは

無くてはならないと

考えていた。

(中略)

世界の文化は

アジアに始まって

アジアに帰る

それには

アジアの

高峰

日本に

立ち戻らなければ

ならない。

我々は

神に

感謝する。

我々人類に

日本という

貴い国を

創っておいて

くれたことを」

かつての日本は

東洋の君主国

と言われていました。

日本人の

精神性が

群を抜いて

高かった

からです。

そのことを

彷彿とさせる

二人の偉人の

言葉ではないでしょうか。

その日本が

今や危機に

瀕しています。

毎日のように

狂気を

思わせる

事件が

起きています。

多くの

日本人の心は

留まるところを

知らずに

彷徨して

おります。

その最大の

根本的な

要因は

戦後から

今に続く

教育の

目を覆わんばかりの

荒廃にあります。

今回は

何回かの

シリーズとして

このことについて

書き綴って

行こうと

思います。

次回に

続きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月6日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

運と3つの福

おはようございます

2017年1月26日木曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー⑳】

です。

~~~~~~~~~~~~~~~

ー運ー②

昨日予告させて

頂いたように

今日は

小説『五重塔』で

有名な

あの

明治の大文豪

幸田露伴の

【運】についての

考え方を

ご紹介いたします。

幸田露伴は

自著の

『努力論』の中で

【幸福三説】を

述べています。

第一に

幸福に

恵まれている

人を

良く

観察すると

【惜福】(せきふく)の

工夫が

ある人で

あると言う。

【惜福】の工夫とは

たまたま

自分に

訪れた

幸福を

使い尽くし

取りつくして

しまわない

という

ことです。

例えば

息子二人がいて

新しい服を

買い与えると

一人は

大喜び

その服ばかりを着て

それまで着ていた

服には

見向きもしない。

そのうち

買ってもらった服も

そればかり

着ているものだから

着くずれし

折り目もなくなり

その状態で

晴れがましい

場所にも

着ていかざるを

得なくなる。

もう一人の息子は

新しい服も

古い服も

時と

場所を選んで

着分けて

いる。

こういう二人の

子供の

どちらも

母親からすれば

可愛い。

だが

無意識に

新しい服も

古い服も

どちらも上手く

使い分ける子供の方に

より多く

買ってやって

しまうようである。

第二に

【分福】(ぶんぷく)

自分に来た

福を

独り占めに

しない。

自分に来た福を

自分一人のものにせず

一部は

人に

分け与えようと

する。

この

【分福】の工夫によって

より大きな

福が

その人には

訪れる

幸田露伴は

言うのです。

歴史上の

実例として

源氏と平家の

平家は

やって来た

幸福を

一族で

享受した。

一族内では

【分福】していたので

最後まで

一人の

裏切者も

出なかった。

幸田露伴は

言います。

第三に

【植福】(しょくふく)

これは

例えば

農家の人が

裏山に

杉の苗を

植えておく。

その杉が

大きくなるころは

本人は

老いているか

亡くなって

いるであろう。

植えた杉の

恩恵を被るのは

植えた本人よりも

その子孫で

あるであろう。

そういうことで

杉の苗を

植えておく。

これが

【植福】です

と。

この三つの

工夫を続けていれば

その人に

【運】が

めぐってくる

可能性は

高いようだ

幸田露伴は

言うのです。

以上

昨日は

将棋の

米長邦夫さんの

今日は

幸田露伴の

【運】についての

考え方を

ご紹介してきましたが

如何でしょうか?

米長さんの

「幸福の女神は

笑いと

謙虚を

おおいに好む。」

幸田露伴は

福が来たら

大切に使う

【惜福】

来た福を

独り占めにせずに

人にも分け与える

【分福】

たとえ自分の為に

ならなくても

喜んで

人の為に行う

【植福】

私は

これらはみな

人としての

正しい生き方

示している

のではないかと

思うのです。

【幸福】という

あたかも

偶然に

起きているかの如く

理解されている

ことが

ちゃんと

起きるべき法則があり

それは

サムシィンググレート(神)が

人間に

「このように

生きなさい。

そうすれば

もっともっと

あなたの人生は

良くなるよ。

それは

私が

望んでいる

ことだから」と

教えてくれている

様な気がして

ならないのです。

如何でしょうか

参考に

なりましたでしょうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月5日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

運の女神

おはようございます

2017年1月25日水曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー⑲】です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

ー運ー

こうすれば

上手く

行くだろう

こうすrば

幸せを

つかめるだろう

緻密に

論理的に

考えても

行動をしても

現実は

思うようには

なかなか

行かないでしょう。

人は

誰しも

常に

幸運に

めぐり合いたいと

思っているし

良いことだけが

自分に起きて

欲しいと

願っている。

でもそのように

行かないのも

現実と

わかっている。

ところが

周囲には

何でこの人には

良いことばかりが

起きるのだろう

と思えるような人が

一人や

二人は

おりますね。

この人たちに

共通して言えることは

いわゆる

【良い顔】を

していたり

【明る】

かったり

【非常に謙虚】

だったり

します。

このように

何か

良いことばかりが

起こる人には

共通の

【生き方】が

あるのではないか?

これは

私が

日常から

抱いている

疑問です。

つまり

【運】に

恵まれるには

必ず

恵まれるような

生き方が

あるはず

と。

将棋界の

大御所

7度目の

挑戦で

50歳にして

将棋界の

最高峰の

名人位を

つかんだ

故米長邦夫さんは

【運】について

次のように

言っています。

「運がよくなるには

運の女神に

好かれなければ

ならない。

運の女神は

笑いと

謙虚を

おおいに好む。

では具体的に

運の女神に好かれるには

どうすればよいか?

運の女神は

傲慢を

好まない。

自分を

絶対だと信じ

人を

見下すような

人からは

運の女神は

離れて行く。

知識を得たとする

これで

ひとかどの

人物になったと

錯覚するような

人からは

運の女神は

離れて行く。

【馬鹿になる】

これこそ

運がよくなる

要諦であろうと

思います。

教育は

本来

利口になる

賢くなるための

ものであるが

【運】

にとって

それ以上に

大切なのは

【謙虚】になる

【馬鹿】になる

ことなのです。

このことに

気づいた人に

運の女神は

微笑みかける。

しかし

このことに

気づく人は

稀にしか

いないだろう」と。

少し長い

引用に

なってしまいました。

皆さまは

どのように

思われますか?

米長さんの

申していることを

皆さまの

周りの人に

あてはめて

ご覧になれば

米長さんの

おっしゃっていることの

当否が

お分かりになるでしょう。

次回は

明治の文豪

幸田露伴の

【運】についての

考え方を

ご紹介いたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年7月4日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

【生きる】ということ

おはようございます

2017年1月24日火曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

中村秋津久
今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー⑱】です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

ー【生きる】ということー

97歳で

亡くなった

坂村真民さんの詩に

次のようなものが

あります。

ー生きることとは

愛する

ことだ

妻子を愛し

はらからを愛し

おのれの

敵であるものも

愛することだ

生きることとは

いくとし生きるものを

慈しむことだ

野の鳥にも

草木にも

愛の眼を

注ぐことだ

生きることとは

人間の

美しさを

失わぬ

ことだ

どんなに

苦しい目に合っても

あたたかい

愛の涙の

持ち主で

あることだ

ああ

生きることとは

愛の眼を

貫くことだー

 

さて皆さん

生きるということ

どのように

お考えになりますか

お考えになったことも

ありませんか!

本能の

ままでしょうか!

お金を

うんと儲けて

豊かな

生活をすることでしょうか!

高い地位に立つ

出世をすることでしょうか!

『法句経』に

次のように

あります。

『頭(こうべ)

白しとて

このことによりて

のみ

彼は

長老(おさ)

たらず

彼の

齢(よわい〉

よし

熟したりとも

これ空しく

老いたる人とのみ

よばれん。』

(年を重ねて

白髪に

なったからといって

尊敬されるべき

人間に

なれるわけでは

ない

ただ

老いぼれと

言われるだけだ)

という意味です。

さて

皆さん

ありがたくも

生かされている

この自分!

どう生きるか!

どう生かすか!

【生きる】ということ

どのように

お考えになりますか!

今日は

問題提起だけ

にさせて

頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月3日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

絶望という希望への道程

おはようございます。

2017年1月23日月曜日

今日も変わらずよろしくお願いいたします。

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

中村秋津久
~~~~~~~~~~~~~~~~
絶望

それは光に近づくための必要な道程

絶望は

「生きたい」

という

魂の叫び。

絶望は

「私って何?」

「私は

生きる価値

あるの?」

「私は

何のために

生まれてきたの?」

という

実存への

問いかけ。

絶望は

自分の人生の

本当の

目的

生きる意味を

求めてやまない

魂が

闇の中で

出口(希望)

を求めて

彷徨

(さまよ)っているときの

声にすらならない

自らへの

問い。

そして

答えのない

荒涼たる

時間の地平。

しかし

絶望は

決して

ゴールではない。

絶望を通して

絶望に

きっちり

向かい合うことで

本当の

希望に

たどり着ける。

絶望は

光に近ずくために

必要な

道程であることに

気づいた日

自分の命が

躍動し始める。

そして

世界は

再び

神秘に満ち

輝き始める。

~~~~~~~~~~~~~~~~
中村秋津久寸評

昨日の投稿

ー哀しみ

痛み

そして

苦しんでいる

あなたへー

で書かせて頂いた

私の寸評が

今日の

散文詩にも

そのまま

当てはまるため

再び

そのまま

掲載させて

頂きます。

「以前にも

何度か

取り上げさせて

頂いた

ことで

ありますが

それをここで

再度

ご紹介

いたします。

それは

何か

自分にとって

大きな

幸せとか

何か

自分にとって

大きな

喜びとか

訪れる

前には

必ず

その前に

苦難が

訪れて

自分を

試します。

その苦難は

「あなたは

本当に

真剣に

その

大きな

幸せを

欲して

いるのか

あなたは

本当に

真剣に

その

大きな

喜びを

欲して

いるのか」

確かめるために

神様が

試しているのです。

そして

自分が

乗り越えられない

苦難は

その人には

決して

訪れは

しないのです。

儒教の

中の

【孟子】(もうし)にも

次のような

言葉が

あります。

現代語訳を

ここに

載せて

みます。

「天が

重大な任務を

その人に

与えようと

するときには

必ずまず

その人の

精神を

苦しめ

その筋骨を

疲れさせ

その肉体を

飢え

苦しませ

その行動を

失敗させ

行おうとする

意図とは

違うように

させるものだ。

これは天が

その人の

心を

発奮させ

性格を

辛抱強くさせ

出来なかったことを

出来るように

させるための

試練である」と。

また

キリスト教の

あの聖書の中にも

同じようのことが

書かれて

おります。

「神は真実な方ですから

あなた方が耐えられない試練に

会わせることはありません。

むしろ耐えられるように

試練とともに、

脱出の道も

備えてくださいます。」

(コリント人への

第一の手紙10章13節)

このように

観れば

今あなたの

目の前にある

哀しみの

深さも

今あなたの

目の前にある

人生の痛みも

そして

今あなたの

目の前にある

先の見えない

闇の深さも

すべて

説明が

つく

ことなの

ですね。

ですから

人生には

無駄な

月日などは

あるはずも

ないのですね。

ですから

目の前の苦難から

目を背けたり

逃げたりしては

いけないのですね。

確りと

真正面から

受け止める

ことですね。

あなたが

越えられない

試練など

決して

あなたには

訪れは

しないのですから。」

~~~~~~~~~~~~~~~~

私(著者)は36歳のとき、

重い脳腫瘍と水頭症を患い、

生死の境を彷徨(さまよった)したことが、

「気づき」の始まりでした。

それまでの私は自分でも心身ともに健康だと

思っていました。

しかし、病はある日突然に姿を現しました。

言語を絶する肉体的な苦痛と精神的な恐怖……

自分の不運を嘆く気持ち……

いろいろな感情の狭間で心は揺れ動きました。

そして、次第に「病の意味」を

自分自身に問うようになりました。

発病は偶然の不幸ではなくて

とても大切なメッセージを、

私に伝えようとしてくれているのではないかと

思えたのです。

心とからだの仕組みを学べば学ぶほど、

私には「病気=悪・敵・排除すべきも

の」という、

世間一般で考えられているような

一面的な見方ができなくなりました。

それまでの人生を見つめなおし、

自分に向き合うときがきたということでした。

病を自分の人生に必要なこととして

素直に受け入れたときから、

私の「気づきと癒しの旅」が始まったのです。

この旅の過程で、折々に感じたこと、

気づいたこと、考えたことを書き綴(つづ)って

きました。

(気づきのノート プロローグより )

~~~~~~~~~~~~~~~~

気づきのノート

『もどっておいで 私の元気!』

岡部明美(善文社刊)

~~~~~~~~~~~~~~~~

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年7月2日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

出会いは奇跡

おはようございます。

2017年1月22日日曜日

今日も変わらずよろしくお願いいたします。

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

中村秋津久九拝
~~~~~~~~~~~~~~~~

ー哀しみ 痛み そして苦しんでいる あなたへー

あなたの

哀しみの

深さが

人の心を

癒してゆく。

あなたの

痛みに満ちた

人生が

人の

痛みを

溶かしてゆく。

闇の深さを

知っている

あなただから

こそ

人を

闇の中でさえ

憩わせて

あげられる。

癒しは

かかわりの中で

生まれる

「いのちの

喜び

出会いの

奇跡」。

哀しみの

深さが

こんなにも

深く

大きな

人生の

喜びを

運んで

くれるのなら

人生に

むだな

月日なんて

あるはずも

ない。

あなたの

つらかった

人生が

人と

つながること

生きるための

深い

喜びを

味わうための

「大きな

大きな

いのち」

からの

プレゼント

だったのだと

今自分の

人生を

イキイキと

生き始めた

あなたを

見て

思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~
中村秋津久寸評

以前にも

何度か

取り上げさせて

頂いた

ことで

ありますが

それをここで

再度

ご紹介

いたします。

それは

何か

自分にとって

大きな

幸せとか

何か

自分にとって

大きな

喜びとか

訪れる

前には

必ず

その前に

苦難が

訪れて

自分を

試します。

その苦難は

「あなたは

本当に

真剣に

その

大きな

幸せを

欲して

いるのか

あなたは

本当に

真剣に

その

大きな

喜びを

欲して

いるのか」

確かめるために

神様が

試しているのです。

そして

自分が

乗り越えられない

苦難は

その人には

決して

訪れは

しないのです。

儒教の

中の

【孟子】

(もうし)にも

次のような

言葉が

あります。

現代語訳を

ここに

載せて

みます。

「天が

重大な任務を

その人に

与えようと

するときには

必ずまず

その人の

精神を

苦しめ

その筋骨を

疲れさせ

その肉体を

飢え

苦しませ

その行動を

失敗させ

行おうとする

意図とは

違うように

させるものだ。

これは天が

その人の

心を

発奮させ

性格を

辛抱強くさせ

出来なかったことを

出来るように

させるための

試練である」と。

また

キリスト教の

あの聖書の中にも

同じようなことが

書かれて

おります。

「神は真実な方ですからあなた方が耐えられない試練に会わせることはありません。むしろ耐えられるように試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

(コリント人への手紙10章13節)

このように

観れば

今あなたの

目の前にある

哀しみの

深さも

今あなたの

目の前にある

人生の痛みも

そして

今あなたの

目の前にある

先の見えない

闇の深さも

すべて

説明が

つく

ことなの

ですね。

ですから

人生には

無駄な

月日などは

あるはずも

ないのですね。

ですから

目の前の苦難から

目を背けたり

逃げたりしては

いけないのですね。

確りと

真正面から

受け止める

ことですね。

あなたが

越えられない

試練など

決して

あなたには

訪れは

しないのですから。

~~~~~~~~~~~~~~~~

私(著者)は36歳のとき、

重い脳腫瘍と水頭症を患い、

生死の境を彷徨(さまよった)したことが、

「気づき」の始まりでした。

それまでの私は自分でも心身ともに健康だと

思っていました。

しかし、病はある日突然に姿を現しました。

言語を絶する肉体的な苦痛と精神的な恐怖……

自分の不運を嘆く気持ち……

いろいろな感情の狭間で心は揺れ動きました。

そして、次第に「病の意味」を

自分自身に問うようになりました。

発病は偶然の不幸ではなくて

とても大切なメッセージを、

私に伝えようとしてくれているのではないかと

思えたのです。

心とからだの仕組みを学べば学ぶほど、

私には「病気=悪・敵・排除すべきも

の」という、

世間一般で考えられているような

一面的な見方ができなくなりました。

それまでの人生を見つめなおし、

自分に向き合うときがきたということでした。

病を自分の人生に必要なこととして

素直に受け入れたときから、

私の「気づきと癒しの旅」が始まったのです。

この旅の過程で、折々に感じたこと、

気づいたこと、考えたことを書き綴(つづ)って

きました。

(気づきのノート プロローグより )

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

気づきのノート

『もどっておいで 私の元気!』

岡部明美(善文社刊)

(写真は友達からお借りしたものです)

(昨年の7月1日の投稿をリニューアルしたものです)

最後までお読みいただきありがとうございます。

中村秋津久九拝

大事は軽く 小事は重く

おはようございます

2017年1月21日土曜日

唯一無二の今日一日です。

大切な大切な今日一日です。

慈しんで、十分味わって

過ごさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いいたします。

PLSスクールペルソナ

代表 中村秋津久

今日のテーマ

【番外編ー徒然なるままにー⑰】

~~~~~~~~~~~~~~~~

  1. ー大事は軽く 小事は重くー

千利休が

茶の湯の

心得をまとめた

『利休百首』に

「点前

(てまえー茶の湯の所作)

には

重きを

軽く

軽きをば

重く

扱う

味わいを

知れ」

という

言葉が

あります。

重いものを

持つときは

いかにも

軽々と

逆に

軽いものを

持つときには

油断なく

確りとした

気持ちで

取り組みなさい

という意味です。

先代の

千の宗室さんが

ウシオ電気会長の

牛尾治朗さんに

次のようなことを

話したと

聴いたことが

あります。

おもてなしを

するときは

「相客(あいきゃくー

たまたまそこに

来あわせた客)

の選び方が

大切ですよ」と。

利休の言葉にも

「相客に心せよ」

と云うのがあります。

(その場に居合わせた人全員が、

心地よく過ごせるように、

気を配りなさい♪)

例えば

結婚式の

披露宴で

主催者側が

参加してくれた

方々の

席次を決めるときなど

肩書

地位などの

形式で

決めるのではなく

主催者が

参加者の

人間関係などを

精一杯

考慮して

決めたならば

参加した人たちの

多くが

「参加して良かった」と

思ってくれる

ことに

なるのでは

ないでしょうか。

こういう心配りが

「相客に心せよ」という

ことでは

ないかと

思います。

日本興業銀行の

頭取を

勤められた

【財界の鞍馬天狗】こと

中山素平さんは

生前

よく

大事は

軽く

小事は

重く

言っていたと

聴きます。

大事は

誰もが

真剣に

取り組むから

往々にして

肩に

力が

入りすぎ

かえって

本人の

気持ちとは

裏腹の

結果になって

しまうことが

往々にしてあるから

むしろ肩の

力を抜いて

自然体で

対処しなさい。

逆に

小事は

つまらない

どうせ些細なこと

とらえて

対処するが

それが

油断につながり

【蟻の一穴】!

大事に響いて

来ることもある。

故に

小事と

考えることほど

心を込めて

油断怠りなく

取り組みなさい

と。

それぞれ

ごもっともです。

これらの諸先輩方の

戒めを

確りと

心に刻んで

おきたいと

思います。

松尾芭蕉の

言葉に

「古人の

跡を

求めず。

古人の

求めたることを

求めよ」というのが

あります。

人間である以上は

かつて歩いた

諸先輩の道は

我ら

後輩も

同じような道を

辿ることになります。

その時

今日

ご紹介した

【大事は軽く

小事は重く】

なども

十分

心しておくことの

一つでは

ないかと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

PLSスクールペルソナ

代表 中村秋津久